プロローグ
父が県内有数の写真館に育てた福家写真館で働き始め、来年で50年になるが、あっという間だったように感じる。町医者のような写真館を目指し、20代の頃からたくさんのファミリーヒストリーを見て来た。そしてその繋がりを今も築いている。
今では四代に渡ってお付き合いのある家庭も多くあり、この地域での歴史を、しみじみと感じる。
写真は一瞬で、人をその時代に戻してくれる。家族写真を見れば、ひとりひとりの違った記憶を呼び覚ます。誕生から七五三、成人式、結婚式、出産…と大事な節目で撮影した一枚一枚が、家族の歴史をつくり、思い出を包む。
人を撮るのは難しいが、勉強になる。泣いている赤ちゃんも、こちらを信じてくれればニコっと笑う。緊張した男性も、仕事や趣味などの話題で、会話のキャッチボールを交わしているうちに、本来の柔らかな表情になってくれる。
赤ちゃんからお年寄り、VIPと、年齢や肩書を超えて心情に寄り添うことが必要。業界の若い人、スタッフには「写真の知識と技術はおのずと身についてくる。幅広く物事を知り、自分を磨き、相手の心をつかむことが大切」と伝えている。
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スマートフォンの普及やカメラ機能の進化は著しく、写真を撮るのに便利な時代になった。
昔から写真が身近になるたび、「写真館不要論」が出てきたが、そんなはずはない、と思って今までやって来た。撮影することと、感動できる写真が撮れることとは違う。自分たちの撮れないものが明快になり、写真家の存在意義が明らかになる。
40代の頃、1枚の写真に感動した。アメリカで写真館を経営していた日本人写真家が、1900年代前期に撮影した作品だ。光と影を上手くコントロールし、当時の機器などのレベルが今より低い中、今にも子どもが動きそうな生き生きした一瞬を捉えていていた。
マニュアルからオート、アナログからデジタルに変遷。修整・加工も簡単になったが、機器に振り回されず、それを道具として使いこなすことの重要性は変わらない。
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何事によらず「思い続ければ願いはかなう」、と信じてやってきた。時には回りの人が想定外の舞台を作ってくれたこともある。人生って面白い。
若い頃に比べ、高松に愛着を感じ、いつまでもここにいたいと思うようになってきた。高松の街自体も魅力が増し、活気を感じるようになった。地方の時代と言われているが、それがより本物になって欲しいと願っている。
地域の風格、品格を作るのは、そこに暮らす住民であり、町を愛し、町の為に何ができるのかを考えるべきである。私もコミュニティーの中で少しでも協力していきたい。
(福家スタジオ取締役会長)
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福家 嘉孝(ふけ・よしたか) 1967年東京写真短期大学(現東京工芸大)卒。68年福家写真館入社。81年から同写真館社長。86年にスタジオを高松市塩屋町に新築移転、2001年には全日空(現JR)ホテルクレメント高松内に新スタジオを開設した。ポートレート•アカデミー•オブ•ジャパン(PAJ•旧印画紙研究会)会長、香川県営業写真家協会会長、高松ロータリークラブ会長などを歴任。高松市出身。71歳。