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HISTORY

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師匠・立木義浩氏/助手志願、諦めず通い「やるか?」

立木義浩氏に師事したいと強い意志を抱いたものの、本人との面識はもちろん、つてすらなかった。事務所を調べ、事前にアポを取り付けたのだと思うがよく覚えていない。初対面では当然のように断られ、1か月ほど時間を置いて再びお願いしても断られる。そんなことを何度か繰り返していると、「年末年始は徳島の実家にいる。訪ねて来い」と言われた。
立木氏の実家は徳島の老舗写真館である。NHKの朝ドラで放送された「なっちゃんの写真館」のモデルは、立木氏の母・香都子さん。実家を訪れると、どんな写真を撮っているのかなどと、いくつか質問があった。ちょうど助手が春に辞めることになり、「やるか?」と待ち望んでいた言葉が聞け、採用が決まった。

■ 平日は東京・六本木の事務所に朝早く集合、撮影から戻った夜は渋谷のアドセンターで現像処理などを行った。六本木で写真を渡し、帰宅時間は毎日、午前様。土日は立木氏の作品撮影があるので、休みはない。花形作家なのに助手は立木氏の弟•三郎さんと私の2人のみ。仕事量は想像以上だった。
立木氏はカメラ雑誌や婦人雑誌、広告用と、何でも撮り、とにかく仕事が速い。アイデアが次々と泉のようにわき、戸惑わない。例えば、1泊2日の日程が組まれていた軽井沢の雑誌の仕事も、1日で終わらせる。着物姿の撮影などで京都や奈良に毎月行ったが、宿泊せずに帰ることも多かった。
撮影現場で、レンズ交換を指示する際は「レンズ」としか言わない。私は撮影意図を常に想像しながら1本のレンズを選択、すぐに渡せるようにする。デジタルで何百枚も撮影できる今と違い、フィルムの残り枚数を頭に入れておき、モデルや女優に話し掛けている少しの間にフィルムを交換、『スピード・リズム・間』を崩さないよう心掛けた。

■ 立木氏はとにかくかっこよかった。おしゃれで、音楽、映画、食にも精通、戦前の生まれなのに身長も高く、革のパンツも似合った。よくモデルの依頼もあった。憧れのカメラ、ハッセルブラッドのフィルムを巻き上げる動作など、一つ一つの動きが絵になった。見事に発想や視点を転換し、行き詰まる場面を打開、また時間がたっても色あせない数々の作品をつくったが、仕事には厳しい人だった。
毎日、自由が丘のアパートに辿り着くころにはぐったりしていたが、『何とか全てを吸収したい』という心はずっと持ち続けていた。1年数カ月、一流作家のそばで仕事ができたのは今に至っても私の財産だし、濃密な日々は現在でも仕事の糧になっている。時間は誰にも等しく1日24時間。どれだけ上手に使うか、仕事は効率が大切と教わった。
立木氏は自分の映像表現を大切にする人で、意に反する仕事は断ってもいた。迎合しない生き方が心地良かった。
(福家スタジオ社長)

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